カートヴォネガットの息子の書いた本で
みすず書房(だったはずだ)から邦訳が出てる。昔読んだ。
これと同じ名前のタイトルのグレート3というバンドの歌があって、
よく聴いた大好きな曲だった。グレート3はカッコいい。
今日は、語学教育関係の会社から落ちた通知が来ていた。
息子の親父も受けようかとか、言っていた会社だ。
塾の入社試験はひどい風邪ひいてるし、息子の親父に朝から
お出かけ止められるしで、今回はキャンセル。
こんな時、でもまあ息子の親父が就職することにしたから、
まあいいか、これでやってこう、
今後何が起こっても、なるようにしか、ならないんだし・・・、
って思えなきゃ、息子の母親として、まともじゃないんだろうな・・・
息子の親父は息子が産まれて3ヶ月のときから、
作りたいプログラムを作って、自分のサイト運営を始め、
そこへ仕事が忙しいのも加わって、
うちには、かつて私の思い描いていたような
赤ちゃんのいる家庭らしき姿はありえなく、なんとなく虚しい
暮らしぶりだった。
今再就職先が見つかるのは、そのおかげだと言われれば、
何も言えないが、
私が子供のために、一年半も休学したのは息子をそんな絶望感から
遠ざけようとしたためだったと思う。
自分はなぜか今まであまり運がなく生きてきて、
シシュポスの石積みのような日々しかないことにある意味麻痺して慣れているが、
だからと言って、自分の子供に同じ思いをさせたくはない。
息子の親父に対しても当然それは同じ。
別に絶望をベースに毎日を生きてる人ってたくさんいるはずだが、
みんな打ちひしがれている部分に互いに手をさしのべたりしないのが
日本的流儀のような気がする。
辛いとき、なぜかいつも韓国的流儀に生きる人に助けられ、
自分は日本人だが、そのうち韓国のことばや文化を学び、
なんか余計に周りから浮き上がってしまったことも否めないだろうが、
今もこれからも自分にさしのべられる手があるからこそ、
やっていける、やっていこうという気持ちでいられるし、
自分も手を伸ばして生きていこうという気持ちで
いたりするのだった。
って一体何を言ってるんだ!?