今日は講演会に行ってきた♪
トートロジーってde dictoとde reで解釈が変わる
みたいだった
東京人2人、大阪にて:「さっきのおばちゃんの服見た?
やっぱり大阪は大阪だね。」
それを聞いた大阪人1:「また、東京者は大阪は大阪だと思ってからに」
大阪人2:「そら、大阪は大阪や。」
大阪人1の謎の発言を適格にしょうとすれば
「また、東京者は大阪は大阪だ、ド派手でいけてないと
思ってからに」
または、
「また、東京者は大阪はみなド派手でいけてないと思ってからに」
というように、
東京の人が「大阪は大阪だ」といった際に意図した
「大阪らしさ(=ド派手でいけてない)」に関して、
解釈をつけるといいようだ。
・・・
なんでだろ?
The Tokyoite believes that Osaka is Osaka.
会話では、de re の読みになりやすい。
会話では、
話し手・聞き手間で東京人の発話に関する知識を共有できる。
けど、東京人の信念を必ずしも共有できるわけじゃない。
他方、三人称小説では、
完璧なde dictoの読みが成立して
話し手(大阪人)は東京人の信念を共有できるらしい。
もちろんde dictoの読みが成立すれば、であって、
そんなふうに、東京人の「大阪は大阪だ」を共有しようとしても
会話においてde re の読みが優先されれば、
解釈をつけるしかない
・・・
実際に、de dictoの読みであれば
大阪の服店の店員さん:「東京のメーカーの方は、
やはり大阪は大阪だと思ってらっしゃることが多くて、
こんなシックなお洋服は置いても売れないと
判断されるんですよ。」
ほんとかなー?
なんだかイマイチだな-_-;;
Posted by nugunya at 2005年05月08日 01:52 | TrackBack