しじみ蝶の飛び方: 釈読口訣資料『金光明経』っていわれても・・・

2005年10月23日

釈読口訣資料『金光明経』っていわれても・・・

そういえば、先日日本語の試験に行ったら、
試験中、地震があった。自信もないのに、地震が・・・(爆)。
・・・そんなこんな、いろいろあって、
最近、ハングゴの勉強をしていない。
だけどそれでは不味いので、本日の成果。
釈読口訣資料『金光明経』に関する豆知識
これは南豊鉉先生님の『国語史のための口訣研究(直訳!)』
(太学社、1999年)の丸写しよ。
ごめんね、知ったかぶりで、いろいろ適当なことを・・・。

・高麗期(13世紀前半)の釈読口訣資料
『金光明経 巻三』とは、『合部金光明経』である。
『合部金光明経』には『再雕大蔵経』(『瑜伽師地論』)の一部
となっているものと、1988年ごろに仏蔵のお腹の中から
見つかったものがある(あほですまぬ)。

・『再雕高麗大蔵経』の一部である『合部金光明経』は、
漢の支婁迦讖という人の作った合訳本によるが、これは、
『金光明経 巻三』より後の、13世紀後半の釈読口訣資料である。

・さて、その『金光明経 巻三』
であるが、まず、『合部金光明経』というのは5世紀に北凉の
曇無讖という人が4巻にまとめたものを、
522年に梁の真諦という人が22品七巻に翻訳したり、
また、北周の武帝期に耶舎堀多という人が20品五巻に翻訳したりして、
597年に隋の寶貴という人がそれを合わせて24品八巻にしたものらしい。
(他に、『金光明最勝王経』という義浄という人の訳したものもある。)
こういった中国の版本を定本として、翻訳されたものらしい(注:あほですまぬ)。
全八巻。へえぇ。

これは・・・、日本にもあるね。
それで、漢文の部分だが、日本のと、何か違うのか、
それすら、よくわからない。

口訣、釈読口訣、ちょっと勉強しなきゃと思ってた。
ひらがなの「の」みたいな字があるよ〜
要するに、まあ、その時期の研究をしてる論文が読める程度を
目指してたのではあるんだけど、
へえぇで、止まってちゃ行かんなぁ・・・

Posted by nugunya at 2005年10月23日 00:23 | TrackBack
Comments

歴史は勿論、
その時の宗教についても知識が必要になってくるね。
宗教は、日本もある程度仏教の影響を受けてるというか、
東南アジアの仏教よりは、朝鮮半島での仏教は、
大乗仏教小乗仏教という枠組みでは、
多分日本の仏教と似てるのかもしれないので、
日本での仏教に接する機会があると、楽かもしれないけど、
(仏教が盛んだった時期とかは違いそう。僕が馴染みのある浄土真宗は仏陀でなくて、親鸞聖人だったか、七人の僧の教えを説く宗教だし、現代の仏教でも、韓国と日本の仏教は雰囲気が違うね。政治に力を持っているという点では日本の仏教とある意味似てるかもしれないけど…どうなんだか)
創価学会曰く、日本の江戸時代は、幕府が仏教を推奨して、民衆が寺とつながりを持つ事で治めていくという方法を取っていたらしく、そういう意味で発展してきて、現在に至る、日本の現代に色濃く残る仏教について、創価学会は否定的なようですね。
東海地方はそれとは反して、そういう江戸時代の仏教の影響も強く残っており、如何に立派な仏壇を家に置くか、という事が重要とされていた面もあり、愛知県、名古屋では今も、派手な仏壇がある家が多く、江戸時代、徳川御三家のお城もとで、当時からある程度集住傾向?があった尾張名古屋は、今でもその影響が残っているせいか、江戸時代に盛んだったと思われる仏教の末裔が今でも盛んで、そういう意味でも、そのような仏教に否定的である創価学会を受け付けない雰囲気が残っていると言える面はあるかと思われます。
個人的には、歴史も宗教も、変化せずを得ない部分はあるという立場でもあり、江戸時代の日本の仏教はそういう流れの一部であるような気もするので、別にそういう仏教を対象として結束を強めようとしているように感じられる創価学会や、公明党の支持団体が創価学会というよりは、創価学会が政党を持って、国を統治するのに係わっているようにも思える公明党は、江戸時代の仏教と結局同じ事をやっているようにも思え、あらためて共感できない部分を感じ、過去の宗教の形を目指す必要があるだろうか、という気もする。
けどどうなんだろうね…。江戸時代に否定的な人間も今の日本にはいるでしょうね。いろいろな部分で江戸時代の影響は今の日本にも残っている。名古屋の結婚が派手だったのも、江戸時代のそういう時代背景と関係があるのかもしれませんね。
鎌倉時代に源頼朝が征夷大将軍になり、幕府による統治が始まり、室町時代にはその力は衰えるも、それ以前の鎌倉時代の影響は大衆の間にもそのまま残り、そして安土桃山時代に至り、江戸時代が始まったのかもしれませんね。
被差別部落の由来は平安時代に至るというのも見た事があるけど、全てがそうではないとしても、時代をさかのぼっていくと、鎌倉時代以前の平安時代に由来するという事も、どこかにあるのかもしれませんね。
東海地方の独特な保守的な雰囲気は、京都や奈良とそれほど距離がなく、鎌倉時代に何らかの往来があった際に、伊勢湾があったり、木曽川長良川揖斐川などの大きい河川があり、洪水の名所だった事もあり、交通の要所として重要な拠点だったという事は考えられるかもしれませんね。それが安土桃山時代に至り、江戸時代に至った経緯としても考えられる。名古屋は藤原家とつながりがあったと言われる、「藤」の時が付く名字が今も多いと言われるし、そういう名字には独特な古臭い(田舎臭い)印象を僕は感じてしまいます。母方がそういう名字だな。

Posted by: GUGU at 2005年10月23日 20:08
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