しじみ蝶の飛び方: 2004年05月 Archives

2004年05月28日

サヨナラなにわの女☆

風邪は引き続き治らず
母ちゃんは大阪弁すら忘れたようだ。
「もうかりまっか?」
「ほな二泊三日で。」(レンタルビデオ店にて)
ってまるで機械翻訳の誤訳みたいだな。
-_-;
機械翻訳の誤訳もいろいろだ。
「나만의 양말 코디, 뽐내자!(韓)」
「私だけの靴下コーディネーション,威張ろう!(日)」
って微妙だなー-_-;
コーディネーションって、なんでションやねん!
それに威張ろうって・・・
うーん、どんな文脈に出てもちぐはぐにならない語彙を
よく考えないとな、
自慢しよう!なんだろうけど・・・威張ろうって・・・


っていうかレーコーってコーヒーのことだったっけ?
母ちゃんたら元来そんな言葉使わないから
なんかもう意味わかんなくなってたさ、
へっ!アイスティーのことだと嘘を教えたので
後日訂正義務とシベリアで強制労働15年だ、って長え。
ついでにそこのあんたも懲役12年、一周り年とりゃもう何歳だ(還暦)?
「よし、具合見計らって一緒にツンドラしようぜ(凍)!」
「・・・ってそれはべつに世界中でトンヅラ-_-;」
・・・
というわけでしばらく休養に
週末だし☆

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2004年05月26日

噛む犬は吠えない?

最近急な雨ばかり降るので濡れて風邪をひいた。
おかげですっかりとぼけており、
あちこちで面白いことを連発している!
っていうかさぁ
なんか
すごく執拗にかまれるので本能的にボケてしまうみたいよ
ボケは身を守るというのは
大阪人の護身術だからねぇ(ないしょだけど)
そんな中でもむくげの花はきれいだね。
いつもきれいだからあたりまえのことだがね。
mu0024.gif
ああ、また画像を勝手に拝借してしまったが、
눈뫼っていう花の名前はなんか허웅ソンセンニン
みたいでしょー!!
でもさ、すごく不思議なのだけど
グーグルでむくげを検索するとトップは高槻だった。
懐かしい人たち、一生のうちにまたどこかで出会うことが
あるかなあ?
母ちゃんは、東京で正直大阪が懐かしすぎですぅ〜〜〜

ところでさ、
閑話休題だがさー、
新聞の言葉遣いは正直つまんない。
あたしの好きな土着表現がないのよねー
だけど、
之位なら機械翻訳でまともに出せやあ!っていう
怒りと要約(日本人は要約好きなんですぅ)
マジメにやろうと思っているのよ
さあ、噛んでみな!!!

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2004年05月19日

今日は何の日

考えてみたら全くふがいなさもとどまるところを知らない
悲憤慷慨してたらキリがないけど
バイトどころか、研究すらも
通学と出席で時間とエネルギー奪われてしもて形にならないし
ものすごく疲れているからと言っても
子供の世話をしなければ気をゆるめた分だけ
即自分にも跳ね返ってくるからいやほんと怖い話それはほんとうさ。
だけど全くええ加減な話で、
休みもないがかといって意味もない生活-_-;
・・・
ところで例えばテンスやアスペクトみたいな
動詞の文法的範疇に
使用域ってあるのん知ってた?about 韓国語。
今日は学校にも行ったが
朝から息子と雑用に追われ、
腹立ちと疲労に襲われ、
ってもう、何やってんだかわからないついでの事だ。
あのね、
過去形って事態の存在定義については
もうどうでも良くなったことを言うのに使うんです。
だから例えば過去形になってる条件節の前件って例示程度の意味が多くて、
そのこと自体の成立の可否なんかよりむしろ、
後件の示す事態に対する修辞的な効果に使うのですねえ
で、おもろいギャグをいろいろ作れるわね-_-;
あと、
現在進行形っていうのは、
やってることが何かは割とどうでも良いのかも知れず、
むしろいかに真剣に、心からそういう動作をやってるのかを言いたい時に
使うんです。
だから、로동신문や문화신문は、現在進行形で一杯です。
우리는 언제나 정성있게 살고 있습니다 ㅎㅎ

なんだかムカつくなー
日々、テキスト言語学的たんきゅーの為、
로동신문や문화신문すら、読んでいるが、
幅広く世に知られる例の語録の過去形と、
一般記事全体に幅広く用いられるなぞの現在進行形の
対比がすごく有意味。
だってえ、
彼の国のテーマは語録で、
レーマは정성있게 살고 있다는 것ですねん
彼の国の主題は語録で、
人民は国の動詞句ってさ、
文法用語の使用域が、それこそ間違ってるが。

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2004年05月17日

西武多摩川線、新撰組号になる

あくまでも地味路線、新撰組て何か知ってる〜?母ちゃんは御法度とゆう映画位しか知らないさ
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2004年05月15日

表音文字、表意文字、読み書きによる理解

結局
現代文学資料集11『家庭之友』にある
李永哲ソンセンニンの童話3つみなコピーして読む
後の2つは愚かな虎の話と金の指輪の話
発行年が昭和12年から13年っていうことは
ハングル맞춤법ってもうあったんだよね
えっでも、
当時の正書法はこういうのんかいな???
이광고를 보고 두사람이 차저 왓슴니다
とか차저なんか結構すごい気がするし
점점 깁피 들어가 필경 물고기의 밥이되고 말엇슴니다
とか、この方は아語幹が어になりがちだったり色々。

非母語話者の母ちゃんはこういう書き方の文は
頭で発音しながら読まないとわからない
逆につづり方が多少ちがっても音で意外に判るのが常に不思議
このテキストなんて作者の方言がどこのかも見極められないにせよ
たぶん綴り字にすごく影響してると思うが
ハングルは表音文字だから
標準的な発音を忠実に表記する正書法だって考えうる。
でも完全な表音文字なんていうのは存在し得ないし
それを追求するというのはやっぱり方向性に疑問が残る。

文字は読み書きのためのもので
文字を介する理解というのが会話と最も異なる点は
読者の解釈方略が読者の言語使用能力のみに依存しているということだ
だから
会話の協調原理のようなコミュニケーション用のストラテジーではなく
まず、書き手ができるだけ
読み手の言語使用能力を想定して調整しながら書くことが
前提となるのであり、
話すことと聞くことがそれなりに対立をなすのに比べて
書くことと読むことはほぼ同じレベルの作業だったりすると思う。
あと、音声言語の処理というレベルは
読み書きによる理解に根本的にかかわらないはずで、
ならば発音どおりに書くことは正書法にはあまり有意味でないことになる。
これが結局完全な表音文字が現れない原因なのだろうし・・・

最近の韓国は漢字使用についての議論がまたあるらしい
っていうかそれいつもあるやんという気もするのだが-_-;
だが他方、完全な表意文字というのも存在し得ない
と母ちゃんは思うケド。
さっきの
昔の朝鮮語を黙読して理解しようとする話ではないが、
文字を介する理解が何らかの理由で潤滑に行えないとき、
音声言語の処理という手段によって
書かれたものを解釈しようとするということが
よくあると思う。
これは、読む時にはあまりに自然に行っているので想像しづらいが、
字を書くときのことを考えてみればもっとよくわかる。
少しまとまった量を書いては、黙読しているものなのだが
ひとつひとつ定められた意味をもつ文字が複数あったとしても
テキスト性を備えることで言語的な意味はつねに拡張され続けるのであって
意味のある字を写植のようにスロットに収めていけば
言語的な意味が文字で記述できるかといえば
それもそうはいかないんだろうと思う。

Posted by nugunya at 22:55 | Comments (0) | TrackBack

2004年05月13日

うふふ

どっとコムかぁ
Posted by nugunya at 11:06 | Comments (0) | TrackBack

1930年代朝鮮モダン(@マイ)ブーム到来!

李永哲さんごめんなさい。
いたずら好きのウサギの話はちゃんとコピーまでとって
ようやく著者名の偉大さと
詳細適当に読んで前のカキコにゃ誤訳も混ざったままなのにも
ちゃんと気づきましたです。合掌。
・・・
いたずら好きのうさぎに綱で結び付けられてしまった
象と鯨は綱をたどった先に居る者にそれぞれ気づき
どちらも「俺を捕まえようとしたやつはお前か!」と腹を立て
引き合った綱が切れて放り出されてしまうのです。
そしてうさぎは投げ出された姿の二頭を見て
「愚か者が休んでやがるぞ!」と笑うのです。
・・・
ごめんなさい後半あまりちゃんと読んでなかった。
あ、李永哲ソンセンニン!あなたはとても有名な童話作家なのに
この面白可愛いお話をほとんど誰も知らないですねえ・・・
ちなみにこれ『家庭之友』にある童話の連載の一つで、
挿絵もありそれも又すごい可愛い。
こういう絵本があれば今見てもすごく素敵で楽しめる気がします。


最近ちょっと凝っている1930年代ごろの
出版物を見ること
すごく時間がないので実際ちゃんと見れていないが
思いもしなかったほどモダンで素敵なことに
気づいたのだけど
昨今の世界情勢の暗さが
なんかあの時代の雰囲気に通じるものがあるから
共感を覚えるのかも知れず
まあ今にせよ当時にせよホントは
平和なのがいいということは確か。

Posted by nugunya at 09:41 | Comments (0) | TrackBack

2004年05月11日

작란꾸러기 토끼 이야기

昼休みと休講で空きコマのひととき
図書館で研究のための勉強
(↑まぁ、そう言うてみるのもおこがましいがな-_-;)
のハズが
『家庭之友』とゆう朝鮮総督府時代の
朝鮮語雑誌のええとこまとめて製本してあるのをみつけてしまう。
・・・
これって別にまぁ言うなら現代の朝鮮語
でもなんかさぁハングゴって見れば見るほど
正確な機械翻訳とか道遠い感じ。
人間が読むのにはまぁわかるけど
なんかもぅ形態素解析も何もあったもんじゃないよなぁ。
『分かち書き』がゆれるどころか
なにしろ綴り字が・・・最近のチャット言語とかもそうだけど・・・
こういうのってどう処理するの???
・・・
現代的に書けばタイトルのようになる?
「いたずら好きなうさぎ」の話というのもあり(家庭の友やしな)
けっこうマジで読んでしまう。形態素解析。
あと独特に朗々した語り口の解析(←朝鮮風)。
内容は別に、たぶん朝鮮の昔話の象と鯨の綱引きだけど。
これ日本にはない話だなーたぶん。
だってさーウサギがごっつ賢いのは朝鮮風。
マシマロですら伝統的。

象と鯨はものすごく大きいことを互いに認め合い、
俺たちが仲良くすれば世界中の動物を
従えることができるだろう、と話し合っている。
それを聞いたいたずら好きのうさぎが、
「聞き捨てならぬ」と
計略をめぐらし
まず鯨に
「牛が泥沼に落ちたので鯨さんの剛力で引き揚げてほしい」と言って綱を結び
次に象のところへ行き、同じように言って鼻に綱を結んでしまう。
象と鯨はそれぞれうさぎの言うように泥沼から牛を引き上げんと
ものすごい力で引き合った挙句、
腹を立てた拍子にてんでに綱から放り出されでしまう。
うさぎは大喜びしてその様子をながめて
「もったいないのは綱だけだな。」とか言う。
-_-;
だいたいこんな話と思うけどさ。
勉強しろよ(爆)っていうかさ、
ヨン様ファンとの一万光年くらい開いちゃった距離が
我ながら悩ましいわ。

Posted by nugunya at 04:42 | Comments (0) | TrackBack

2004年05月07日

ノスタルジア

ふーん「冬ソナのヨン様」ってそんなに人気あるんだ、
いまさら結局疎外感-_-;
ドラマなんて観れる生活してないんだよねー
だが、
日本の女性週刊誌の表紙とはとても思えんものを
電車の中吊り広告で見る。
つくづくソウルって簡単に行けるんだった!
否、それって人によってはだと思うケド。
母ちゃんの場合は情熱と反比例してソウルがどんどん遠くに・・・
・・・
日本の、にせよ半島の、にせよ
少し上の世代の知り合いには運動圏の方が多い。
っていうかとりあえず運動圏が中心-_-;
ヨン様なんか、ほんものの半島の、
しかも芸能界
半永久的に認証の必要すらないカテゴリーかな?
実際確認してないから知らないけど。
だってぇ、
母ちゃんなんかそういう方々からすれば
結局元二部学生のペイペイな人だから
心の連帯してないしさー(連帯ってなんだ!?)
言っちゃあ悪いがほんものの往来からうまれる韓流ブーム
母ちゃんはべつに応援するさ、
応援ってタダでもできるしさ、何の責任もないけどさー

とりあえず、
ただちょこっと流行りものがブームになることであっても
今の何千倍にもなればいい。
母ちゃんは、
元二部学生のペイペイな人だから見える構図が災いして、
ノリノリで運動圏なんてことはありえない
だからここから見えるものに対してずっと苦い気持ちがあるし
ここに立って
しかも日本で
マジで半島のことを研究しようなんて思えば
これからもそれはきっと消えないし-_-;
・・・
歓迎されないし後味の悪い世界のことはさておき、
母ちゃんはとにかく現時点よりはるかに言語ディバイドがない状態で
往来ができるよう生の情報量が増えることで
個々人の世界観が変わることに貢献できるよう、
研究にはげみますー

Posted by nugunya at 02:31 | Comments (0) | TrackBack

2004年05月03日

いつか風になる日

大型連休
保育所が休みで息子も家に居るので
いくらかはお出かけもしてやらねばならず、
とうとう親子三人で、クサマトリックスに行って来てしまった。
六本木ヒルズはさすがにすごい人出で
チケット買うのに、東京名物の行列にはじめてマジメに並んだ。
旦那様曰く
「今日本は戦時中、ここは格好のテロの標的。」

で、草間彌生
子供はオムツ替えでウロウロして入り口を発見したときから
「うわぁーーーー」と歓声を上げて大喜び
帰宅後もおもむろに画集をめくり
「楽しいワンワンはどこ?」とのたまう次第
楽しめたみたいでヨカッター♪

作品群
何と言ったらいいのか極めてラブリー
よく考えてみるとものすごく怖いかも知れないが
悪意がないものの集まりで
人を嫌な気持ちにさせるものではないから
子供も楽しかったのだろう

帰ってから画集を見て思ったのだが
美術評論家がテキストで書いたものからは
現場で感じた明るい印象って
なんか想像もできない
ま、解題と鑑賞では作業が違って
尋常でない部分を追求しなきゃならないんだろうケド
なんかまあ確かにエネルギー量の膨大さや
構造になんというかあまり作為がみられないような気がするのが
常人の域を超えとるかもね-_-;
でもああいう風に造ることに悩みがあったように見えてこないのは
まともな芸術だからなんだと思うケド

Posted by nugunya at 05:57 | Comments (0) | TrackBack

2004年05月01日

象は耳がデカイ!

今週は引越しをしたから
大学で借りた本を荷造りしてしまってたので
息子が家に居る連休中に宿題やレジュメ作りを
やらねばならぬ。
まあ、聴講中の授業のだから・・・
ウィトゲンシュタイン(←リンクの読み物は独特に面白い)
総称表現の意味論的扱いなんかにも
いろいろ書いてるのを見てちょっと驚く
この象は耳がデカイ!!
・・・
しかし、修士も出たのに
今年も研究生とはいえ学生やってんのに
何の学会にも入らず、どこにも発表もせず、
これは、まずいといえばまずいんだろなぁ-_-;
困ったなあ、気が弱くて・・・

ウィトゲンシュタインは言語学で生き続けてると思うケド
普通さっきのプログラミング言語と『哲学的論考』というよりは、
『哲学的探求』と認知意味論界とのリンクの方が有用かな
ロシュのプロトタイプ論と家族的類似性とか
メンタルスペース論と意味と真偽条件についての定義とか
でも、ウィトゲンシュタインは文脈効果というのを言わない
レイコフみたいにメタファーも言わない
きっと数学や論理哲学に近いからかなあ・・・?
言語ゲームだが、
暫定的「あそこ」に向かって話し手と聞き手が歩いて行くことは
できるみたいなんだけど、
「人が何かを信頼する場合にのみ可能」な伝達の言語ゲームだったりするらしい
「去年の赤はいまいち出来がよくない」(ワイン)
「『猫』の日本語は古すぎてコーパス研究には向いてない」(夏目漱石)
「15歳でメンデルスゾーンまで行ってたんだったらかなりピアノ弾くんだね」(ピアノ教室)
「さっき泣いたカラスがもう笑った」
(↑これなんかスゴイよね、子供に向かって日本人が言う決まり文句
・・・

Posted by nugunya at 07:03 | Comments (0) | TrackBack